柿野 成美
柿野 成美(かきの しげみ) 先生
お茶の水女子大学大学院修了後、公益財団法人消費者教育支援センターに勤務。消費者教育の教材開発や研修プログラムの作成、講演などに取り組む。現在、法政大学大学院政策創造研究科准教授、消費者教育支援センター理事・首席主任研究員。著書に、『消費者教育の未来―分断を乗り越える実践コミュニティの可能性』(法政大学出版局、2019年)ほか。

高校で金融教育の必修化、教える側の負担は

ー最初に先生のご経歴をお伺いしてもよろしいでしょうか?

柿野成美先生
金融教育に興味を持ったきっかけは、高校の家庭科の授業で家計簿をつけたことです。そこで自分がお金について何の知識もなかったことに気がつきました。バブル時代だったので両親も株式投資に熱心で、母親が株価をラジオで聴きながら夕食を作っていたのを覚えています。親には「お金のことよりも、大学に行くための勉強をしていればいい」と言われましたが、それよりもお金をはじめとする生きるための知識のほうが大切だと思っていました。そこで進路は、お金や暮らしに関する教科書を書いたり、教えたりする立場になるためにはどうしたらよいか考え、静岡大学の教育学部に入学しました。

その後、お茶の水女子大学の大学院を卒業し、公益財団法人 消費者教育支援センターに入りました。そこでは、お金のことを含む消費者教育の教材開発や研修プログラムの作成、講演などに取り組んできました。FP資格(CFP®︎認定者)も取得しました。

そして40歳を過ぎたころ、もう一度大学院に戻って博士論文を書きたいと考え、法政大学大学院の政策創造研究科に入学しました。去年の4月からは同大学院で教員として働きながら、消費者教育や金融教育、環境教育等を通じて公正で持続可能な社会を実現する地域政策について研究しています。

ー消費者教育の事業に携わっていたということですが、高校の授業で金融教育が必修化されたというニュースを聞いて、どのように思われましたか?

柿野成美先生
金融教育が必修化されたとよく言われますが、これは2022年から高等学校で始まった家庭科において、個人の資産形成に関する内容も扱うようになった、という意味です。以前から、お金に関する内容は家庭科の教科書に記載されていました。

このニュースを聞いて最初に感じたのは、教える側が大変だ、ということです。教師によっては、この分野に明るくない方が多く、新しいテーマをどのように扱ったらよいのか不安だとする声をお聞きしました。また、家庭科そのものの単位数(時間数)が限られているため、どこまで時間を割いて本質的理解に迫ることができるのか、本格稼働に向けた課題は大きいと思いました。

ー今までも、金融に関する内容が家庭科の教科書に含まれていたのですね。正直なところ、受けた記憶がありません。家庭科の先生が専門知識を持っていない点に理由があると思うのですが、いかがでしょうか?

柿野成美先生
家庭科の先生向けの研修を担当した時に、先生方から「証券会社の口座を開設する必要がありますか?」といった質問が出たこともあります。金融教育必修化は、先生自身がお金について考えるきっかけになったと思いますが、専門知識を持つには相当大変だと思います。

ー家庭科の先生だけに任せるのではなく、大学と連携した出張講義のようなものがあったほうが、より実践的な学びに繋がるように思えます。

柿野成美先生
たしかに、家庭科の時間は限られているため、外部専門家と連携することが大切です。18歳成人がスタートし、金融教育や消費者教育などは、3年生になってからでは遅いとみなされているため、高等学校の家庭科は1~2年生の間に学ぶことになっています。

高校の家庭科(家庭基礎)の学習内容は、「人の一生と家族・家庭及び福祉」「衣食住の生活の自立と設計」「持続可能な消費生活・環境」の分野に分かれています。基本的には計画的に進められるのですが、教科全体の学習内容が多いので、ともすると金融教育に関連する最後の部分が時間不足に陥る可能性もあるんです。家庭科だけでなく、18歳成人に向けた必要な学びとして学校内外と連携した体制づくりが重要だと思います。

日本の金融教育に必要なのは「実践力」

ー高校での学びを補うために大学では、どのようなことを教えたらいいでしょうか?

柿野成美先生
とある国立大学で金融リテラシーの連続講座を提供した経験があります。この手の授業は情報提供に偏りがちですが、この講座ではケーススタディやシミュレーションを通じ、自分自身で考える力を育成する授業内容を提供していました。

大学生が給与明細を見ながら、実際の手取り額や控除された金額を考えたり、ライフプランに基づき、住宅を買うか借りるかシミュレーションしたりする実践的な授業内容となっています。学生たちからは「こういう授業を受けたかった」という反響をいただきました。

ー私が卒業した大学の学部にも教養科目として経済系・金融系の授業がありました。ただ、歴史や知識を詰め込む形式で、あまり実践的ではなかった印象です。「学生時代に実践的な学びがあったらな」と社会人になってから実感します。

柿野成美先生
大学の授業は、抽象的で理論的な話が多くなるのは仕方ないと思いますが、個人の金融リテラシーを身に付けるための授業では、個人のライフプランに応じて、習得した知識を活用していく実践的な態度を育むことが重要です。また、日本人に対する金融教育の鍵は、その態度をどのように身につけていくかという点にあると考えています。各大学は、社会に人材を送り出す前段階の教育機関として、長期の視点を持った実践的な金融教育を実施していただきたいですね。

ーなぜ日本人は家庭内で金融教育が浸透していないのでしょうか?

柿野成美先生
やはり、まだ日本人の中には、お金に対する話題を人前で積極的にしてはいけない風潮がありますよね。また、親世代も家庭で十分な教育を受けてこなかったこともあり、家庭における金融教育の重要性が伝わっていないように感じます。

金融教育は、学校も重要ですが、家庭こそが実践の場として適切だと思います。内容は体験を中心に、開始時期は低年齢であるほど望ましいですね。定期的にお小遣いを与え、お小遣い帳に記入したりしながら収支をコントロールできる能力を育むことは、家庭でしかできません。日常生活にはお金の話題であふれています。意識的に家庭内で話をするかどうか、大きな違いが生まれると思います。家庭での金融教育をもっと積極的に進める具体的な支援策が必要です。

ー高校では必修化されましたが、例えば中学で教育を終了してしまった人や、金融教育を受けてこなかった大学生や社会人も存在します。彼らに対してはどのようなアプローチが可能でしょうか?

柿野成美先生
私自身、ファイナンシャルプランナーのCFP®︎資格を取得した時、お金に関する勉強を集中的にしたのですが、知らないことを学ぶことは非常に重要だと感じました。社会人に対しては、資格取得に向けて勉強する人にインセンティブを与える方法も一つでしょう。また、企業が新入社員や若手社員等の従業員に対して金融教育を推進することも重要ではないかと思います。

消費者庁では、成人年齢の引き下げにともない、18歳成人に向けた高校生対象の教育を強化しています。しかし、成人後もお金に関する学びは重要です。そのため、昨年、消費者庁では企業の新人研修向けの教育コンテンツを作成しました。公益財団法人消費者教育支援センターが受託して作成したのですが、先日、大手生命保険会社の新人研修に活用したところ、大変好評でした。

講義の冒頭で、「お金に関する勉強をしたことがありますか?」と新入社員に質問しましたら、ほとんど手が挙がりませんでした。高校や大学で十分な金融教育が提供されていない現状が見えてきますよね。今後、企業研修でも、お金に関する実践的な学びをもっと積極的に実施してほしいと思っています。

ー特に大学生はアルバイトを始めると収入と支出が増え、交友関係も広がります。お金を稼ぐのと同時にリスクも増えるため、金融知識は必要ですよね。

柿野成美先生
そうですね、リスクも含めた金融知識にもっと触れる機会が増えるといいですよね。大学生をはじめとする若者が抱えるトラブルとしては、美容エステや脱毛など「美」に関することや、怪しい投資商品への勧誘など「儲け話」に関することがほとんどです。最初は、自分には関係ないと思うかもしれませんが、トラブル内容を理解しておくと自分が経験しそうになった時に、注意深くなることができると思います。

若者の情報の入手先はSNS等ネット経由がほとんどですが、情報の質を見極める力も重要ですね。時には、信頼できる公的機関が提供する情報を確認する習慣をつけると良いと思います。消費者庁はじめ各地の消費生活センターでは、若者向けの情報発信を行っているので一度見てみてください。

ー海外と日本の金融リテラシーの違いはどこにあると思いますか?

柿野成美先生
日本の場合、金融リテラシーというと、「知識」という狭い範囲にフォーカスしがちです。単なる知識を知っているかどうかではなく、それをどう活用し、よりよい生活を実現していくかという「実践的能力」の視点が弱いと思います。

以前、アメリカと日本の大学生の家計管理、生活設計に関する比較調査を実施したことがあるのですが、いずれもアメリカの大学生は家計管理(紙及びデジタルによる金銭の記帳、クレジットカードの利用明細の確認)が日本の大学生より2倍以上多くの人が実施できていました。また、「先取り貯蓄」の習慣ができている人が有意に多かったという結果も見られました。

さらには、金融教育は個人のお金の問題と捉えられがちですが、金融教育を通じてどのような社会を実現したいのかという「市民の視点」も欠かすことはできません。私たちのお金の使い方や預け方、投資の仕方で、社会を変えていく大きな力になるという視点は、日本の金融リテラシーの考え方には弱いと思います。

ー柿野先生は、消費者志向の経営を推進する企業の従業員研修に関する研究もされていますよね。研修に重点を置かれているのは、やはり実践ありきという考えが根底にあるからでしょうか?

柿野成美先生
はい、私の研究では「実践」を大切にしています。中でも、これまで研修や教育を中心に取り組んできたのは、その場(実践)への参加を通じて、問題を自分事として捉え、内省し、その先の行動変容につなげてほしいという思いがあったからです。そのため、私が担当する研修は、講師である私が一方的に話して知識を提供する講義スタイルだけではなく、問いに対して参加者と共に考え、対話する時間を最も大切にしています。

今後、金融教育が一層強化されていくと思いますが、国民一人ひとりが、より良い暮らしや社会を築くための「実践的能力」が獲得できるような形で展開されることを期待したいと思います。

ー今回お話を伺い、自分の消費生活を振り返るいい機会になりました。大学生を含めた多くの方にこのインタビューをご覧いただき、金融教育のあり方を共に考えていきたいと思います。

本日は素晴らしいお話を聞かせていただき、誠にありがとうございました。