創業からこれまでの事業変遷と貴社の強み - 祖業と現在の事業内容
—— まずは千房ホールディングスの創業からこれまでの歩みについて、簡単にお話しいただけますでしょうか。
中井 創業は今から51年前の1973年に私の父が行いました。お好み焼きを中心とした鉄板系のレストランで、現在は全国で66店舗、海外では7店舗を展開しています。海外進出は35年前にハワイから始まり、ベトナム、中国、フィリピン、台湾、韓国などにも出店しています。また、居酒屋業態やおでんの事業もおこなっており、冷凍のお好み焼きや物販も展開しています。
当社の拠点は大阪の千日前という場所で、お好み焼き一本に絞って51年間事業を続けてきました。もともとは父と母がスタートさせた会社です。
—— お好み焼きのおいしさはもちろんですが、お客さまからは接客や居心地の良さについても評価されていると伺いました。その点についてどのように考えていますか?
中井 そうですね、私たちのお店では味だけでなく、接客や居心地の良さにも力を入れています。お客さまに「接客が素晴らしかった」とか「お店の居心地がよかった」と言っていただけるのは、私たちにとって非常に嬉しいことです。千房の魅力は人にあると思っており、当社の企業理念や社訓にも従業員を大切にするという考えが色濃く出ています。接客サービスやおもてなし、ホスピタリティが我々の競争優位性になると考えています。
承継の経緯と当時の心意気
—— おそらく10年ほど前に先代から引き継ぎがあったと思いますが、そのときの背景や経緯、お父さまやご兄弟の関係など、お聞かせいただけますでしょうか?
中井 私は三人兄弟の末っ子で、長男と次男がいて、少し年が離れています。子供の頃から、長男が家業を継ぐことが決まっていて、次男は自分の道を行くように言われていました。私は東京の大学に進学し、アメリカンフットボールをやっていました。その後、野村證券という会社を選び、就職しました。
当時は就職氷河期でしたが、一番厳しい業界の一番厳しい会社に入りたいと思って、野村證券を選んだんです。野村證券でずっと働くつもりでしたが、10年前に父から連絡があり、大阪に帰るよう言われました。私は東京にいたいと思っていましたが、帰ってみると、長男の兄が病気で、もしかしたら復帰できないかもしれないと言われました。そこで、後継者として引き継ぐことになりました。
兄は残念ながら亡くなり、私は野村證券を退職して家業に入りました。その4年後に社長に就任し、今から6年前に二代目社長となりました。
—— 引き継がれた当初、当時の幹部や経営陣との関係はどうでしたか?
中井 私は物心つく前から、会社の行事にはすべて参加させられていました。入社式、社員旅行、忘年会、球技大会など、全部私が参加していたんです。そのため、千房の幹部たちとは顔見知りで、子供の頃からかわいがってもらっていました。そういう意味では、彼らは私を受け入れてくれました。
私が慶應大学を卒業し、野村證券で活躍していることは、社員も父を通じて知っていました。そのため、スムーズに受け入れてくれたのだと思います。
ぶつかった壁やその乗り越え方
—— これまでぶつかった大きな壁と、それを乗り越える方法について教えていただけますか? 最近はコロナの影響もあったと思います。
中井 そもそも私は証券会社出身で、外食業界はほとんど経験がありませんでした。大学時代に少し居酒屋でアルバイトをしたくらいです。まったく畑違いの業界に入ったということもあり、最初から従業員に学ぶつもりで会社に入りました。幸い、社員も私を快く受け入れてくれて、私も社員から学ぶというスタンスで取り組んでいました。
ただ、コロナという未曾有の出来事があり、私たちの業界は大きな影響を受けました。飲食店に行かないでくださいと言われ、営業もできず売上はゼロに。そんな状況で、何を一番守らなければいけないかと考えたとき、従業員だと思いました。
—— 従業員を守るためにどのような取り組みをされましたか?
中井 まず、雇用を守ることを最優先にしました。資金繰りが重要で、あらゆる手を使って資金を調達しました。借りられるだけお金を借りて、誰一人辞めさせませんでした。また、従業員の給料も100%払い続けました。
その背景には、人を大切にするという強い気持ちがありました。コロナ禍では、人を切るなどのコスト削減が考えられますが、5年、10年先を見据えると、人手不足になることはわかっていました。だからこそ、人を守ることを最優先にしました。
—— その取り組みのおかげで、現在も会社は存続できているということですね。
中井 はい、いろんな助成金や教育金などのおかげで、なんとか存続できています。孫正義さんが言っていたように、船酔いを防ぐためには遠くの景色を見ることが大切だと思います。コロナ禍の中で近い将来に目を向けると、人を切ることやコスト削減が考えられますが、長い目で見ると、人を守ることが重要だと考えています。
今後の新規事業や既存事業の拡大プラン
—— 千房ホールディングスの今後の展望についてお聞かせいただけますか? たとえば、新規事業や既存事業の拡大方針などがあればお聞きしたいです。
中井 売上高や店舗数をどんどん拡大するという発想はなく、現在66店舗ありますが、これを100店舗や200店舗にすることは考えていません。私は金融業界から外食業界に来たとき、外食業界は利益率が低く、人材獲得が大変で、ローン環境も厳しいと思いました。しかし、実際には外食業界の本質はそこではなく、お客さまからの感謝が従業員のやりがいにつながり、それがお金ではない価値を生み出していると感じました。
外食産業は、人々がコミュニケーションを求めて訪れる場所であり、その存在意義が大切だと思います。コロナ禍では、外食業界が苦労した一方で、その価値を再確認する機会にもなりました。ただ、店舗数を増やすとクオリティが落ちる可能性があるため、まずは国内店舗のクオリティを向上させることが大切だと考えています。
今後の方針としては、冷凍お好み焼き事業を国内外で拡大させたいと考えています。また、海外出店に関しては、コロナ禍で店舗数が減ったものの、再び展開していきたいと思っています。現在韓国に2店舗オープンしており、さらに1店舗オープン予定です。国内のクオリティ向上と並行して、物販と海外出店を拡大していきたいと考えています。
—— 冷凍お好み焼き事業についてもう少し詳しくお聞かせいただけますか? 製造過程での冷凍技術などは、他社に依頼しているのでしょうか、それとも自社で内製化しているのでしょうか?
中井 現在はすべて外注しており、いくつかのメーカーにお願いしています。レシピはすべて自社のもので、機械ではなく手焼きで製造してもらっています。そのため人件費がかかりますが、クオリティは非常に高いです。冷凍技術は昔と比べて格段に向上しており、瞬間冷凍でそのままの味を閉じ込めることができます。
私たちの冷凍お好み焼きは高いものだと値段は1,000円以上しますが、味にこだわっており高品質です。ぜひ一度お試しいただければと思います。
メディアユーザーへ一言
—— 経営者を中心とする読者の方々に向けたメッセージをお願いできますか?
中井 私はまだ社長になって6年で、新米経営者ですが、父は大阪のカリスマ経営者で創業者でもあったので、非常に恵まれた環境で育ちました。二代目経営者が苦労すると言われますが、私はそういった悩みや苦労を兄がすべて引き受けて天国に持っていってくれたおかげで、その苦しみを感じることはありませんでした。従業員の皆さんや兄のおかげで今まで生きてこられたと感じています。
私から皆様へのメッセージは、これからもさまざまな形で勉強させていただきたいということです。私にはまだ皆さまへのメッセージを贈る資格はないと感じています。
—— 千房ホールディングスのPRや今後開催されるイベントについてお話しいただけますか?
中井 来年(2025年)、大阪で関西万博が開催されます。私は大阪外食産業協会の会長を務めており、外食パビリオンという形で出店を予定しています。何十億円ものコストがかかる大きなイベントですが、皆さまにも足を運んでいただき、外食パビリオンを楽しんでいただけたらと思っています。
大阪は昔から天下の台所と言われ、食の中心地であるだけでなく、エンターテイメントの町でもあります。55年ぶりの関西万博で、大阪の食文化や日本の食を世界にアピールできたらと考えていますので、ぜひお越しください。皆さまと関西万博でお会いできるのを楽しみにしています。
- 氏名
- 中井 貫二(なかい かんじ)
- 社名
- 千房ホールディングス株式会社
- 役職
- 代表取締役社長