1958年、東京都品川区で鳥肉屋を営む両親の元に長男として生まれる。
私立暁星高校卒業後、大学へ進学するも3か月で中退。8か月で160万円貯めて渡米。
アメリカ合衆国カリフォルニア州のブルックスカレッジ卒。
1983年に帰国し、家業である有限会社鳥利商店(プレコフーズの前身)に入社。
1994年社長就任とともに株式会社プレコフーズへ組織変更。
就任時の売上高1.5億円から30年間で272億円(2024年3月期)まで成長させる。
趣味は仕事、ゴルフ、旅行、グルメ。日課は40年間欠かさず続ける毎朝1時間のストレッチ。
当社プレコグループは“新鮮食材のスペシャリスト”として、『安全』『品質』『鮮度』の高い食品を笑顔と共にお届けしています。
また飲食店の印象を左右するクレンリネス分野においては、飲食店を知り尽くした当社ならではのサービスを展開。
飲食店発展の良きパートナーとなり、これまでの食品卸の概念を超え、豊かな食文化に貢献する事業展開を目指しています。
創業からこれまでの事業変遷
ー 早速一つ目のご質問です。創業からこれまでの事業の変遷について、御社の場合は家族経営の鶏肉専門店として小さな商店からスタートされて、そこから成長をされてきた歴史があると思いますが、ターニングポイントを含めてこれまでの事業の変遷を簡単にご紹介いただけますでしょうか。
髙波 はい。プレコフーズは、1955年に私の両親が東京・大井町で創業した小さな鶏肉専門店「鳥利商店」が始まりです。私が5歳頃には、一階が店舗、二階が自宅という商店街の店でした。父が鶏肉を解体し、母が店頭で販売する小売事業をメインに、地域の飲食店50軒ほどに配達もしていました。私も小学校の頃から鶏肉の解体を手伝ったり、店先で焼き鳥を焼いたりして家業に携わっていました。 事業のターニングポイントは私が社長就任をした1994年です。当時、時代の変化と共に、肉は肉屋、野菜は八百屋で買う買い物スタイルから、スーパーでまとめて買うスタイルに変化していました。近隣にスーパーができたこともあり、当時の小売の売上は1日1万8千円まで落ち込んでいました。これでは従業員どころか、家族だけになっても食べていける数字ではない、と社長就任を機に飲食店向けの卸に舵を切りました。
ー 学生時代、アメリカに留学されたと聞いていますが、どのような経緯で留学を決意されたのでしょうか?
髙波 大学時代、ビジネスを学ぶためにアメリカに行きたいと思うようになりました。当時はマクドナルド日本1号店の開店や、「アメリカンドリーム」という言葉がもてはやされるなど、アメリカに憧れる風潮が強かったこともあり、大学を中退して教育機器の営業をして資金を貯め、渡米しました。最初はロサンゼルスのレストランで働きながら生活していたのですが、それではそのレストランのことは学べても、アメリカ全体のビジネスを学ぶことは難しいと感じ、学校に入学しました。
代替わりの経緯・背景
ー その後、日本に帰国されて家業を継がれることになったのですね。どのような経緯で家業に入られたのでしょうか?
髙波 アメリカに滞在して4年が過ぎた頃、父から「家業がダメになったから戻ってきてほしい」との手紙が届きました。アメリカの学校は課題も多いため働きながら卒業するのが難しく、実は入学時に「帰ったら継ぐから仕送りをしてほしい」と手紙送っており、その時の手紙のコピーと共に、父からのSOSの手紙が届いたのです。当時は継ぐ気など全くなく、いっそアメリカ人になろうとまで考えていたのですが、特別裕福でもない両親が毎月21万円ほど仕送りしていた気持ちを思うと裏切れず、泣く泣く帰国し家業に入りました。当時は両親にいとこの姉さん2人、そして私の5人の会社だったため、鶏の解体から、営業、配送そして事務まで基本的に全部見なければなりません。ある時、経理業務で決算書類を見ていると、売上は8,000万円のずっと横ばい。良くもなっていませんでしたが、父が手紙に書いたように「ダメ」には全くなっていませんでした。つまり、私も「帰ったら継ぐ」と嘘を書いたのですが、父も私を呼び戻すための嘘を書いていたことが発覚しました。
ー 髙波さんは、家業に入社してから社長就任までの11年間、お父様の下で務められましたが、その間、自分が本当にこの仕事を好きになれるかどうかという疑問があったようですね。
髙波 そうです。その時期、日々の仕事は頑張ってはいたのですが、アメリカへの想いが捨てきれず、肉屋の仕事に情熱を見い出せませんでした。留学経験もまだ珍しい時代に渡米し、英語も話せ、専攻していたファッションマーケットの知識もある。にも関わらず、子供のころからずっと手伝ってきた、何もかも全て知り尽くしている家業をしている、そんな自分に忸怩たる思いでした。そんな気持ちだったこともあり、会社の売上は入社時8,000万円ほどでしたが、11年間で1億5,000万円程度までしか伸びませんでした。
ー そんな中、お父様から「この会社をお前にやる」と言われたことが転機となったと伺っていますが。
髙波 そうです。その言葉を聞いた時、純粋に嬉しく思いました。子供のころからずっと見てきた肉屋は嫌いでも、経営には興味がありました。そして「肉を売るのではなく、食文化を売る会社にしよう」と決めました。社長就任をきっかけに、鳥利商店という社名では若い人は集まらない、と考え、社名をプレコフーズに変更。自分が今後経営として目指したいものを考えた時「社長会を作りたい」と考え、プレコのプレは「PRESIDENTS(社長たち)」、コは「COOPERATION(共同体)」、食品を扱う会社なのでフーズを足しました。一つの会社のまま成長しても社長は一人、役員・部長の数も限られる。そこで事業を分社化し、会社が会社を生むビジネスモデルを構築したい。そしていつの日か、社長たちと集まって「一緒に頑張ってよかったね」と語り合えたなら、自分は企業人として幸せだ、と考え社名に夢を込めました。また、社長就任を機に小売事業から飲食店向けの卸業へと転換。自社の優位性を持とうと考え、経営理念にもある「食品の安全・品質・鮮度」を掲げました。食品の安全性が問われる時代にも背中を押され、売上50億円までは前年比120~140%で毎年成長させることができました。
ー その後、50億円から100億円までの間はどのような成長を見せたのでしょうか?
髙波 50億円から100億円までの間は、メイン事業の食肉部門のセンターをさらに2か所開設し、ISO9001-HACCPの認証取得やベジタブル事業部を発足させ、年間平均で約15%から20%成長しました。そして、2013年度に100億円を超えてからコロナ前までは、だいたい年間10%から15%ぐらい成長し続けています。
ー 現在の売上はどのくらいですか?
髙波 前期の売上高は約272億円で、今期は300億円を目指しています。1994年に小さな商店の社長に就任してから今年で30年ですが、社名に込めた“社長会”もいまや私の他に4名の社長たちおり、ようやくこのような体制までくることができました。これが、私が社長になるまで、そして現在に至るまでの流れです。
ぶつかった壁と乗り越え方
ー プレコフーズでは成長を続けていますが、その中でも特に大変だったエピソードは何ですか?
髙波 最初に大変だったのは人の採用です。やはり若い人が入らないと会社は続いていかないわけです。そこで人を採用し、会社を10人以上の規模にするまでが一番難しかったです。商店街の肉屋にまして朝6時からの仕事に来てくれる人材は多くなく、当時は面接にスーツで来ただけで合格としたり、社員のアパートの保証人になったこともありました。 また、今でも働く親戚のお姉さんからは、社長就任当時「あなたのお父さんに雇われたから、私はあなたの言うことを聞かない」と言われたこともありました。今では「私がそんなこと言うはずがない」と、昔のことは笑い話になっていますが。
ー 最近では、コロナ禍での影響も大きかったのではないでしょうか?
髙波 そうですね。2020年のコロナ禍では売上が一時期、3分の1に減少しました。飲食業界全体が打撃を受けたため、私達も苦しい時期を経験しました。
しかし「コロナが終われば外食業界に活気が戻る」という信念を持ち、全サービスの継続と新規開拓に取り組みました。その結果、顧客数も増え、2022年度にはコロナ前以上の売上を達成し、無事にV字回復、その後毎年過去最高売上を更新しています。
全国の経営者へ
ー 最後に、全国の経営者の皆様へ、特にこれから会社を経営していく二代目三代目の方々に対して、代表のご経験から何か一言いただけますでしょうか。
髙波 全国の経営者様へ、なんて大変烏滸がましいのですが、私も事業承継をした経験者の一人としてエールを送るとすれば、社長にとって一番大切なことは熱量、発想力、そして営業力だと私は考えています。
熱量とは、自分の会社をどうしたいかという情熱があること。発想力とは、会社経営をしていれば、いろんな問題が起こるわけで、その一つ一つを乗り越えていくためには、これまでとずっと同じことをやっていてもダメ、常に様々な発想・決断が大切だと思っています。そして営業力。やはり企業としては売り上げを伸ばすことで、社員に還元することもでき、人や設備に投資することで、より会社を成長させ、お客様へのサービスも拡大することができます。この三つが大切だと、私は考えてます。
私自身と弊社のことですが、今年で社長就任30年、来年は創業から70年を迎えます。百年企業を目指して、これからも皆様のご期待に添えるよう頑張っていきたいと思っています。
- 氏名
- 髙波 幸夫(たかなみ ゆきお)
- 会社名
- 株式会社プレコフーズ
- 役職
- 代表取締役社長